彼方より

珍客来訪


今年から、ヤモリちゃんが遊びにきてくれるようになりました

めんこい♪



本日の読書

たとへば君―四十年の恋歌

たとへば君―四十年の恋歌

64歳の若さで亡くなったのは、ちょうど一年前の今日でした

相聞歌という言葉、この本を読んでいるとたびたび目にします

人間は、声に出す言葉のほかに、文字で感情をうったえることができる生き物なのだということを、改めて強く思いました

40年間連れ添った夫婦の間であっても、言葉にしないとわからないこともある
なんとなくわかっていたつもりのことも、言葉に残されているとよりその人に寄り添うことができる

最初に病を宣告されて、手術を受けられ、回復した後も、常に後遺症や、再発の恐怖に悩まされていたときの、河野さんの心が病んでゆく様子についても、少し書かれています

祖母が体を病んだとき、心も病んでいくのを間近でみてきて、罵声も力任せの怒りの矛先にもなっていたとき、私もずっとこのまま地獄が続くのだろうかとふと考えたことがありました

祖母は弱ってからは文字には残さなかったけれど、もう少し若い頃は常に日記をつけていたので
そのノートが残されています
人の日記を読むことはいけないことかもしれないけれど、深く考えずに開いたとき、つい目が、祖母の拙い文字を追ってしまいました
なんでもない出来事に、そのとき感じた素直な気持ちが書かれていました

私とけんかしたときのことも
お祝いのケーキのことも
マルという2番目に飼っていた犬の首輪が外れてしまったときのことも

ああ、そんな風に思っていたんだ
そんな風に思っていてくれたんだ

まだ全部読む勇気はありませんが、いつかもう一度出会える日がくると思う
向き合える日がくると思う

河野永田ご夫妻は、言葉のプロである歌人であるから、この本がひとつの優れた作品として読むこともできるのだけれど、相聞歌という言葉が少し私の中でしっくりこなくて
ふーむと思って調べてみました

我が浅はかさを呪ったことよ

相聞歌というと、恋愛の歌というイメージがあったのですが
相聞という言葉は、もともと男女間のみならず、親子、兄弟や友人などが相手のことを思いやって、消息をたずねあうという意味があるのだそうです

それを知ったとたん、のどにつっかえていたものをするりと飲み込めたような
すんなり受け入れることができました