一年


去年の今日は、ICUの控え室で不安な気持ちを抱えながらひとり長椅子に掛けていました

みんなからもらったたくさんの御守りをつけたパンダとともに

雨がしとしと降り続く日でした


去年の5月は、いろんなことがいっぺんに押し寄せて
ただでさえ眠っていないぼんやりした頭では、思考すること自体が難しいのに
瞬時に判断しなければいけない事態や、誰よりも信頼していた人とのひどい喧嘩や、生きることと死ぬことの曖昧さと脆さや、自分の存在価値や
考えることが山のように押し寄せて、毎日を過ごすことが精一杯でした

この一年で、何度か記憶に留めるための作業をしようとしましたが、まとめることはできなかった

わかったことは、人が死ぬということはきれいごとで済ませるなんて都合のいいことは、決してできないということ
ただ受け止めて、忘れないことだけしかできない

この先も、ふとした瞬間に思い出しては腹をたてたり、涙を流したりして、私はすべての記憶から逃げずに生きていくだけなのだろう

こんなふうに、えらそうに言葉を並べても
嫌なことやしんどいことがあったり、ふいに訳もなくさみしくなったときに、いつもしていたように
私はただ、ばあばにぎゅっと抱きつきたいだけなんだ
ほんとうはわかっているのだけれど

「おばあちゃんのすそご」と言って
やさしく髪をすいてくれる手は、もうどこにもないのに


今日は、晴天のもとで活き活きと動く人たちの姿をたくさん見て、思わず見とれてしまう残雪の山並みを見て、見ているだけでわくわくしちゃう新緑の山に囲まれた道を帰ってきて、とんでもなく大きな海老の天ぷらに驚いて、おいしくて幸せな気分の、去年とは正反対の一日でした
幸せだからこそ、なんだかいろんなことが走馬灯のように思い出されてしまうのかもしれないなぁ

海老天、ばあばに見せてあげたかったな
きっとびっくりして、笑いこけただろうな

海老さんがぴゅい〜ん
しかも2匹!!

ああ、楽しかった

私はまだまだこれからなんだなぁ

ばあばの口ぐせ「おんし(お前さん)、まだまだこれからだぞぃ」の意味が、ようやくわかってきた気がします