天寿

父方の祖母が永眠しました


人の感情は一体どこへ行くのだろう

私はずっとこの不思議を考えています


祖母は20年近く痴呆症を患い、介護施設に入所して10年と少し
どんどん、どんどん、色んなことを忘れていく姿を見てきました
孫の私たちはともかく、父や伯父伯母たち、自分の子どもたちのことも忘れてしまい、ここ数年は寝たきりの状態でした

今年の初夏に見舞ったときは、小さなベッドに横たわり、何かを一心に食べているように口をもごもご動かしているだけで、その目はもはや誰のことも何のことも見ず、ただただ空を見ていました


心は一体どこへ行ってしまうのだろう


夏の終りに入院したとき、私たちには「2、3ヶ月と思ってください」と告げられました
ひょっとしたら、新年が迎えられないかもしれない
祖母は痴呆症の他は特に病気もなく、身体が衰えて、自分の力では食べることが出来なくなってしまったから、点滴で栄養を採るしかなくなったのでした
95才です
老衰、というのでしょう

私たちにできることは、なるべく苦しいことのないように、静かに人生を終えることが出来ますようにと願うことだけでした

「まだ先のことだけど、これからはなるべくたくさんおばあちゃんに会いに行こう」
そんなことを話して、みんなそれぞれに仕事があるので、一緒には行けないけれど、それぞれでお見舞いに行っていました

私は特に他の人たちと休みが合わないので、一人でお見舞いに行くことにしました
そして、私はその不思議にめぐり合いました


ただ空をみつめるだけで、笑うことも、怒ることも、泣くことも、感情というものがどこかへいってしまったと思っていた祖母が、突然目覚めたのでした

何にも期待せず、いつものように一方的なお見舞いになることに自分の偽善を感じながら、病室に向かいました
4人部屋の病室の、右手奥の窓際のベッドに、祖母は横たわっていました
そっとのぞきこんで、しばらく寝顔を見つめていたら、寝息をたてていた祖母が「あが」と一声発すると、つぶっていた目をかっと見開いて、まるで怒っているような、しんどいと言っているような表情をしたのです
点滴のところが痛いのかな?と思って、祖母の手にふれるとすっかり冷え切っていました
私の手がカイロ代わりになればと思い、手をとると、私の手を握り返してきました
驚いて、もう片方の手でさすってあげようとしたら、逆に私の手をなでようと動かすのです

その間、ずっと祖母の目は私の目を見つめていました


こんなことが実際に起こるとは
物語の中のような出来事が、自分の身に起こるとは
驚いて、うれしくて、なんとも形容しがたい複雑な思いで、しばらくそのままでいました


時間はどんどん過ぎていき、そろそろ帰る頃かなと思って手を離すと、力を失って動きが制限された祖母の手がゆっくり小さく揺れるのです
見つめる瞳は、笑っていました
それはまるで、「もう遅くなるからおかえり」と言っているようでした
幼かった頃、従姉妹の家に遊びに行った帰りに、いつも声をかけてくれていたときのままでした

初夏に見舞ったときには、そんなそぶりはついぞ見られなかった
期待は確信に変わりました

祖母が帰って来た


感情は、心は、一体どこへ行くのだろう
今でも謎は深まるばかり
だけど、どこかへ行ってしまってそのままではなく、戻ってくることもあるんだ

なぜ、私だったのか
なぜ、父や伯父伯母たちではなかったのか
なぜ、ずっと側で暮していた従姉妹たちじゃなかったのか
よくわからないけれど、たまたま私が一人で見舞いにやって来たことと
何の気兼ねもなく、気楽に話せる立場の孫だから
ひょっこり戻ってきたのかも
いつも側にいると、互いのよいところもいやなところもどうしたって見えてしまいますよね
近すぎると、照れくさくって言えない
私はたまに遊びに行くだけの孫だったから、「よくきたな」「気をつけておかえり」の間柄だったから
ばあちゃんも言いやすかったのかもしれません


ばあちゃんがみんなに伝えたかったこと
代表者として受け取ったからね
お葬式で、ちゃんとみんなに伝えたよ
それから、ちゃんと覚えておくね
私の人生が終わるその日まで


もしかしたら、私の順番が来たときに
心がどこへ行くのかという不思議が、わかる日が来るのかもしれない

そのときは、ばあちゃんみたいに天寿を全うして
「ああ、おもしろかった。ありがとう。」と言って、いきたいなあと思います

安らかに眠ってね