なんだかよくわからんが

すごいらしい、と思いました
唐突ですね、すみません
何がすごいかというと、先日の日記で言っていた納豆の話です

ほら

パッケージをあけたとたん、これでした
(゜o゜)←あっけにとられた

なんですかね、粘り?
うん、粘りが最近の納豆にない粘りでした
納豆を食べるとき、一番面倒なのが、表面についているフィルムやパックからお茶碗に移すとき、糸を挽くあの粘りではないでしょうか?
そういう意見がたくさんあったのか、最近の納豆のパックからはがれるときの素直さは、なんだかこう・・・あっさりしてなかったですか?
昔に比べると、簡単に糸が切れるようになった気がしていたのです

ところが、この納豆、なかなか粘り強いのよ
容器からお茶碗に移そうとしたら、あちゃこちゃに糸がくっついておうじょこきました

それこそが、「納豆菌が、がんばりました」なのかな?
(・_・)どうがんばってくれたのか、わからないけれど
糸引き度では、かなりの高得点をマークしたと思われます
味も納豆本来の豆の苦味みたいなものまであって、ちゃんと「おいどんは納豆たい!」という主張があって、おいしかったです

皆様も、一度は試してみてください〜

さて、本日はちょっとショックなお話を伺ってしんみりしました
我が家がご贔屓にしている和菓子屋さんがありまして、並み居る有名店の栗きんとんよりも、ここのんがいっちゃんおいしい!と思っている栗きんとんと草もちを作られていました
その作り手が、これまた「和菓子職人さんですか?」と聞いてしまいたくなるくらい男前の職人さんだったのです
大手企業とかにいてびしっとスーツとか着ていらしたら、きっと女子社員たちからあこがれられている存在だったことでしょう←どんなたとえなん?

ここ最近、店先に草もちが並んでなかったので不思議に思った母が、さりげなく聞いてみたところ、その職人さんがお亡くなりになった、ということでした
まだ40代にもなってなかったんじゃないかと思う
お子さんも小さかったんじゃないかしら
なんだか、なんだか、あの人の作ったあのおいしい栗きんとんや草もちは、二度と食べられないんだ
そう思ったら、ものすごくさみしくなりました
あまりにも突然だったので、よりいっそう強くそう感じたのかも
一期一会って言葉は、本当にその通りですね
モノにも、人にも

私はよく「△△の○○が食べたい」という表現をしますが、それは「ここのじゃなきゃいや」という意味ではないのです
お店の名前や評判で選ぶのではなくて、ましてや美食家と言われる方々のこだわりとは程遠く、自分がその瞬間に「食べたい」とふと思ったその感覚だけなのです

食べたいな、あの草もちと栗きんとん
・・・記憶の味になってしまいました


そして思い出した大好きな映画

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